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Kaichō Tezuka’s speech for Shihan Alain Breugelmans’ memorial

Tuesday the 29th of July 2014, at the 8th EKTG Summer Camp, a memorial for Shihan Alain Breugelmans, who passed away the 5th of May 2014, was held.

Here follow the original japanese version of the speech made by Kaichō Toru Tezuka on this occasion.

智子 さん。
お手数をお掛けします。
私の考えていることを、送ります。

私は誰よりも師範アランの死を悲しんで居ます。
彼は私にとって兄弟(弟)のよう愛する存在でした。
彼からのメールはいつもあにさんで始まりました。
2004年に彼との出会いが有りました。
オランダのスジャークとの合流のため師範アランはカナダのケベックに来てくれました。
多分、日本人の空手家との出会いに多少緊張していたと思っています。
それは、彼の経験がその様に感じさせたのだと思います。
私はカナダの師範Michelの家に寄宿していました。
私たちは毎日のようにMichelの家で会いました。
私は日々調理をして食事を共にしました。
それが、カナダ訪問の決まりのようなものでした。
後に、アランは言いました。毎日ベルギーの自宅へ電話して会長手塚が作ったものを一緒に食べている
と伝えて居たようで。日本人の考えでは同じ釜の飯を食べることは真に友人・活動の理解者(同志)ということを
表します。
彼の奥さんは、その人と一緒に活動を勧めたようです。
これが彼との出会いでした。
その後、私とMichelはオランダを訪問、スジャークとの合流が決まりました。
一時、スジャークの活動がこのグループの理念に合わず、彼を除名し、アランもスジャークと行動を共にしたと
考えましたが、アランはこのグループに残ることを希望しました。
私はアランの考え、そして行動を頼りにしました。
日本にも彼は積極的に来てくれました。
そして、ロシア・パキスタン・カザクフスタン・アゼルバイジャン・プエルトリコ・ボストン・カナダ・ヨーロッパ各国など
行動範囲は広がり、私も共に各国を訪問しました。
今はそれらが懐かしくも、さびしい気持ちに繋がります。
私はこの活動中に、非常に困難な病気にかかりました。
しかし、私にとってはアランの存在は大きな期待であり安心できるものでした。
私は時に思います。
人は何が幸せか、不幸せかわからないと・・・・
時にアランのこのグループでの活動は幸せだったのか?
彼は完全に自分の人生を燃え尽きるまで頑張りました。
私には感謝しかありません。
彼との出会いと別れまで、本当に感謝です!
私は彼がやり残した部分を皆と頑張り、近い将来彼とまた会える日を楽しみにしている近況です。
彼は今も多くの人々の心に有り、みんなを見守って居ます。
有難う、私の愛する弟、アラン・ブルゲルマンス。
会長であり兄さんである手塚 暢

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